ごあいさつ

アートシーンのなかで笑顔で元気を与えれれるように、スタッフ一同努めてまいります。患者さん一人ひとりのニーズに応じた医療を気軽に、少しでも多くの方に受けてもらえることを目標にしています。
便利さという点ではコンビニエンスストアも医院も同じだと思っています。
「開いててよかった」というキャッチフレーズがあったように、あると非常に便利。
そんな存在を意識しました。
帰るときに、来てよかったなと思ってもらえることを目指しています。

院長プロフィール

略歴

昭和23年3月 北九州市若松に生まれ20才まで若松で過ごす。
昭和51年   京都府立医大卒業

国立舞鶴病院
京都府立舞鶴子供療育センター
京都第一赤十字病院
に勤務後、開業し、
医師として既に40年近くとなりました。

所属

日本整形外科学会所属
日本リハビリテーション学会所属
元亀岡市医師会会長
亀岡市環境事業公社産業医
亀岡市介護認定委員会委員
亀岡市国保運営委員会委員
大井、千代川保育園園医
南丹高校校医
育親中学校校医
丹波支援学校校医

思い出の中の情景

思い出の中の情景故郷を離れて45年。北九州の若松、洞海湾の北、玄界灘に面した所です。

かつては石炭の積出し港でにぎわい、日本一の出荷量でした。中学時代に深紅の若戸大橋ができ、東洋一のつり橋といわれ、若戸博でにぎわったのです。

若松の渡船場から戸畑へ渡り、西鉄電車に乗って小倉にある井筒屋、玉屋というデパートに連れていってもらい屋上遊園で遊び、お子様ランチを食べるのが子供としての最大のぜいたくでした。そのような中でダイナミックな活力をはぐくんでくれたのです。

エネルギー構造の転換で、石炭から石油へ変化し、産業構造の転換で、重工業よりサービス産業に転換し石炭産業が崩壊し、炭坑が閉山した。また官営八幡製鉄として明治時代より伝統の「鉄は国家なり」の中心である新日鉄も昔のおもかげを残すのみとなる。船の出入港も少なくなり、海はきれいになり魚がもどってきた。

古い建物は駐車場、空地へと変わり、両親と共に働いていた思い出の小さな海沿いのビルの屋上から見える風景も変わったのです。

思い出の中の情景以前海は重油でよごれ、空は七色の煙でおおわれ夜になると製鉄所の溶鉱炉の鉱サイを海に捨てるため南西の空が真っ赤に燃えた。それらは公害としてもクローズアップされたが、今は公害はなくなったかわり、人の活気がなくなったのです。商店街は空テナントが目立ち、立ち寄っていた本屋さんもなくなったのです。

しかし帰省し、ふるさとの洞海湾をビルの屋上から見て、風を感じると心がふるえ、若戸渡船の上から見る景色も格別です。そのため渡船を守る会に入っています。

洞海湾へは牧山の信号所より船の入出港の指示がされ、ビルのそばを船が通るたび、窓や屋上より手を振り、また船から手を振る姿を思い出すのです。海より5mという立地は船員さんへの思いの重要性のため設計されていると考え、船員さんの心をつかんだのだと思うのです。これらの景観を守るため、小松さんをはじめ、若松に愛着をもったみんなで努力をしています。

思い出の中の情景90年となるビルも産業遺産建造物であり、若松は5ヶ所のみとなりました。建造物を守るため文化財保護法にのっとり、国指定登録有形文化財、景観法の指定を検討、申請中です。ふるさとを守るためにも、ふるさと納税も意味があるのではと思います。

3月11日、津波注意報が発令されかなり心配していたが大事には至らず、胸をなでおろしました。地下室が浸水する恐れがあったのです。新しい建造物と古い建造物との対比がみごとであり、どんな観光地の景観より、大好きな思い出のたくさんつまった景観なのです。自然の力の前で人間の無力さをひしひしと感じると共に、いつまでもこの景観が残ってくれることを祈るのです。

第6回北九州市景観賞、市政50周年 特別部門 特別賞の受賞が決まり、ずっと守ってきた今は亡き両親もきっと喜んでいることと思います。

スタッフ

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しらべ内科整形外科医院
〒621-0013
京都府亀岡市大井町並河2-13-11
TEL 0771-23-8943